毘盧遮那如来とは?

毘盧遮那如来とは、仏教の教えを神格化した仏様です。

今回は毘盧遮那如来について紹介していきます。

毘盧遮那如来

毘盧遮那如来の由来は?

この毘盧遮那如来は、別名で廬舎那仏(るしゃなぶつ)とも呼ばれており、華厳経(けごんきょう)に出てくる仏様で、古代インドの言葉でヴァイローチャナと言います。

また、光輝普遍(こうきふへん)、光明遍照(こうみょうへんしょう)とも訳されております。

毘盧遮那如来が住んでいるのが、蓮華蔵世界と言われており、経典の華厳経によると、そこは大海にある大蓮華により支えられているとと言われております。

また、梵網経(ぼんもうきょう)の中では毘盧遮那が座られている蓮華座には、1千枚の花びらがあって、その花びら1枚1枚にお釈迦様がおられて、さらにその台座には1000のお釈迦様がおられるというように、とても広大な蓮華蔵世界に住んでいると言われております。

よってこの毘盧舎那如来がいなければお釈迦様は心理を悟る事は出来なく、お釈迦様がいなければ仏法は人々に伝わらなかったと言われております。

この毘盧舎那如来を、その計り知れない大きさをイメージして作られたと言われているのが、奈良の東大寺の大仏であります。

毘盧舎那とは、太陽の意味という事もあり、宇宙の中心から太陽のように照らし続けるとされています。

お釈迦様は心理を悟ってそれを仏法として人々に伝え、その心理そのものがこの毘盧舎那如来であります。

毘盧舎那如来は法身仏(ほっしんぶつ)の代表的な存在であり、この法身仏とは、仏教の教えそのものを神格化した仏様の事を指します。

奈良県の東大寺大仏は、正式名称を盧舎那仏と呼ばれております。

その東大寺の大仏は、天災が相次いだため仏法の力で、地上に平穏をもたらそうという鎮護国家(ちんごこっか)、いわゆる仏教の教義に基づいて、仏様や菩薩・諸王が国家を鎮めて護るという信仰のもとで建立されました。

また、大仏建立を決めた聖武天皇(しょうむてんのう)は、建立に際しての資金の調達を勧進役(かんじんやく)として、その当時に民主に人気であった行基(ぎょうき)を任命して、国中から寄付を募ったと言われております。

この勧進とは、仏教の僧侶が民衆の救済のために、布教活動の一環として行った行為の1つであり、勧化(かんげ)や勧請(かんじょう)とも言われております。

また、勧進役の行基(668〜749)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した仏教僧で、朝廷には認められていない僧侶であったが、各地で堤防や橋などを作って社会事業を行って、民衆からは絶大な支持を得られていたと言われております。

毘盧遮那如来のスタイルは?

この盧舎那仏如来の外見は、釈迦如来によく似ておりますが、頭頂部は肉髻(にっけい)と呼ばれる盛り上がったパーマのような螺髪(らほつ)があるのが特徴的であります。

右手は施無畏印と呼ばれる、人々の恐れを取り除く印相をしており、左手は、与願印(よがんいん)と呼ばれる、願いを聞き入れる印相を結んでおります。

蓮華座や仏像の後ろに、光明をかたどった装飾には無数の釈迦如来があるのも特徴であります。

また、蓮華座には結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる坐り方をしており、持物(じもつ)も持っておらず、衲衣(のうえ)をまとっただけの姿であります。

毘盧遮那如来のご利益とは?

現世安穏(げんせあんおん)、所願成就(しょがんじょうじゅ)などのご利益があると言われております。

毘盧遮那如来の事が書かれている経典

大日経、華厳経など

毘盧遮那如来の祭事は?

毎月27日は、毘盧遮那如来の縁日とされております。

有名寺院

奈良県の東大寺、奈良県の唐招提寺(とうしょうだいじ)

奈良の東大寺

毘盧遮那如来の真言は?

ナウマク・サマンダボダナン・アビラウンケン

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