今回は、仏像とはどのようなものなのかを紹介していきます。

まずは、仏像の大きさですが、丈六(じょうろく)が基準となります。
これは、一丈六尺(約4m85cm)で、坐像の場合だと一丈六尺の半分の八尺の大きさで丈六像と呼ばれております。
また、半分の半丈六で八尺(2m43cm)で、坐像の場合だと半分の四尺の大きさで半丈六像と呼ばれております。
その他にも、三尺(90.9cm)の像があったり、等身で作るという像もあります。
次に、品質についてですが、どのような材料を使って作られているのか見ていきます。
材料を大きく分けると、土・漆・金属・木・石となっており、それぞれ塑像(そぞう)・乾漆像(かんしつぞう)・銅像又は鉄像・木像・石像となっております。
塑像とは?
この塑像は、天平時代に造られており、土偶や埴輪とは違う造られかたをしていて、焼成せずそのまま乾燥させたものです。
日本では、白鳳時代頃から始まって、天平時代を中心に流行しましたが、平安時代ではほとんど造られてなく、鎌倉時代に入ってからはわずかに遺品が見られます。
塑像は中国で生まれた技法であり、敦煌莫高窟の諸像や秦の始皇帝陵の兵馬俑などの傑作があります。
しかしこれらの源流は、古代ギリシャ・ローマの彫像や浮彫装飾に使われたストゥッコとされていると言われております。
このストゥッコとは、いわゆる漆喰(しっくい)像の事で、本来は石灰石・貝殻(いずれも主成分は炭酸カルシュームCaCO3)・白堊(チョーク)などをおよそ900℃で焼成して出来た生石灰(CaO)に水を反応させ、それにより生成した消石灰(Ca(OH)2)を主材料として、これに大理石の粉や砂を混ぜて練って造形をして乾燥させたものを指します。
乾漆像とは?
この乾漆像の作り方には、2種類の製法があります。
それは、「脱活乾漆技法(だっかつかんしつぎほう)」と「木心乾漆技法(もくしんかんしつぎほう)」があります。
まず、1つ目の脱活乾漆技法ですが、阿修羅像をはじめ、そのほとんどが奈良時代に作られました。
これは、粘土で像のおおよその形を作り、ある程度乾燥させて、その上に麻布を漆で何枚も貼り合わせ7・8層程作ります。
それが硬化すると、窓を開けて内部の粘土を取り出します。
その内側に骨組みの木枠を作って、像の表面を「こくそ」と呼ばれる漆に抹香(まっこう)や木の粉を混ぜたもので仕上げ、漆箔(はく)や彩色をします。
また、窓を開けた箇所は糸で縫い合わせします。
もう1つの木心乾漆技法は、大まかな木彫像の原型を作って、その原型に木屎漆(こくそうるし)と漆を盛り上げ細部整形して、像を完成させる技法を指します。
天平時代後半になるとインフレによって国家財政も破綻して、国家的な事業から民間いわゆる私的な事業に変わざるをえなくなったため、仏像の制作に贅沢な資金を充てる事が出来なくなりました。
その結果、漆は高価な素材であるため脱活乾漆像の制作は不可能となって、そこで考え出されたのがこの木心乾漆技法です。
この木心乾漆技法は、素材が高品質でなく不純物を含む漆で、しかも漆の使用量が少なくて済むこの技法が考案されたと言われております。
銅像又は鉄像とは?
この銅像は、古い時代のものはロウ型鋳造と言われるもので、最初に柔らかいロウで形を作り、そのまわりを土で囲んで焼きます。
銅像は、金色にするのに表面に金メッキをし、このようなものを金銅仏(こんどうぶつ)と呼びます。
「日本書紀」では、6世紀半ば頃に朝鮮国家の「百済(くだら)」の聖明王(せいめいおう)から欽明天皇(きんめいてんのう)宛に、仏典や仏具などと共に仏像が送られたと記されております。
この時の仏像が、金銅仏の釈迦如来像で、一般的にこれが日本の仏像の歴史の始まりと言われております。
木像とは?
日本では、昔から現代まで沢山の仏像が作られてきましたが、平安時代以後のほとんどの仏像が木によって作られています。
木の仏像には、一木造り(いちぼくづくり)・寄木造り(よせぎづくり)・割矧ぎ造り(わりはぎづくり)の3種類があります。
まず、一木造りは平安時代の前半に作られたやり方で、その名の通り、頭から全ての部分を1本の材木から彫っていく作り方です。
材木の芯に近い部分を取り除いたり、重量を軽くするために、像の底や背中に窓を開けてくり抜く事があります。
背中など、見える箇所に窓を作った場合は、別の材木で蓋をします。