摩利支天とは

摩利支天とは、陽炎を神格化した天部の尊である。

今回は、摩利支天について紹介していきます。

摩利支天

摩利支天の由来は?

この摩利支天は、サンクスリット語でマーリーチと言い、威光・陽炎と訳される。

原型は、インドの夜明けの光を神格化した女神であるウシャスという説もあり、日本に伝わったのは平安時代以降と言われております。

陽炎を神格化した天部の尊で、日天と共に帝釈天の眷属です。

陽炎は実体を見る事が出来ず、とらえる事も出来ないので、どんなものからも傷つく事がないとされております。

日本における摩利支天は、中世に沢山の武士たちから信仰を集めました。

戦国武将の武士である、前田利家・楠木正成などは、摩利支天の仏像を兜の中に入れていたと伝えられております。

武士から人気の高かった摩利支天は、戦いに強く決して負けないと信じられていたと言われております。

それは、摩利支天は陽炎から生まれた神様の為、太陽を背後にする事で姿が見えなくなって、戦いに有利になれると言われております。

摩利支天のスタイルは?

この摩利支天は、本来ならば天女像であるが、忿怒形武神としても表されており、二臂の天女像、三面六臂・三面八臂で、猪に乗っている姿などがあります。

天女像では、左手には卍が書かれた天扇を持っており、右手は垂下して与願印を結んでおり、蓮華座に坐る像であります。

また天女像は、天扇を持っているため風神の1つとも言われており、梵天の子供として密教に取り込まれました。

糸と針を持っており、悪人の眼や口を縫ってしまうと言われております。

威光菩薩の化身ともされており、威光摩利支天と言う別称もあります。

摩利支天には、もう1つ武士を守る忿怒形武神としての姿があります。

猪に乗っている像は、阿修羅と帝釈天が戦闘した際に、摩利支天は三日月の光明を放って、阿修羅をたじろかせて、帝釈天を助けて、猪に乗って疾走したと伝えられているためであります。

摩利支天のご利益とは?

財福授与・護身除災・旅行安全・武徳守護のご利益

摩利支天の事が書かれている経典

摩利支天経

摩利支天の祭事は?

山梨県の市川三郷町では、毎年8月の最終土曜日に摩利支天祭りが開かれる。

有名寺院

東京 徳大寺・・・猪に乗って、左手を高く掲げる男神像で、逗子の中で安置されている。

神奈川 小田原城天守閣・・・三日月を飾った猪に乗っている三面六臂像で、小田原藩主大久保忠朝が奉納した。

摩利支天の真言は?

オン・マリシ・エイ・ソワカ

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