釈迦如来とは?

今回は釈迦如来について紹介していきます。

釈迦如来は、曹洞宗の御本尊となっていますが、天台宗・臨済宗共に御本尊として祀ったりますが、特定の御本尊は定めていません。

釈迦如来は、お釈迦様が悟りを開いた後の呼び名となっているので、基本的にお釈迦様と釈迦如来は同一人物と言われています。

お釈迦様は、仏様の中では唯一実在が確認されている人物になります。

その証拠に、19世紀の末に遺骨(仏舎利)が発見されており、歴史的・考古学的の調査結果で、お釈迦様の真骨であると判明しております。

お釈迦様の生涯の中で、重要な時期を8つに分けて表したものが釈迦八相(しゃかはっそう)と呼ばれているものです。

この8つについて、分け方は諸説ありますが、日本ではおよそ次のように分けられます。

①降兜率(ごうとそつ)②托胎(たくたい)③出胎(しゅったい)④出家(しゅっけ)⑤降魔(ごうま)⑥成道(じょうどう)⑦初転法輪(しょてんぼうりん)⑧入滅(にゅうめつ)または涅槃(ねはん)の8つになります。

  1. 降兜率(ごうとそつ)
  2. 托胎(たくたい)
  3. 出胎(しゅったい)
  4. 出家(しゅっけ)
  5. 降魔(ごうま)
  6. 成道(じょうどう)
  7. 初転法輪(しょてんぼうりん)
  8. 入滅(にゅうめつ)または涅槃(ねはん)

降兜率

前生(ぜんしょう)のお釈迦様が兜率天(とそつてん)という天界から、六牙(りくげ)の白象に乗って降りて来た時の場面です。

前生のお釈迦様が兜率天という天界から、六牙という6本の牙を持っている白象に乗って母摩耶夫人の胎内に入ったという伝説です。

お釈迦様は、この世に生まれる以前に兜率天に住んでおり、菩薩(さとりを求める人)として修行されていると言われています。

托胎

母親の摩耶夫人の右脇腹から胎内に入り、宿った時の場面です。

摩耶夫人はあるとき夢を見ます。

ヒマラヤ山の黄金の宮殿で横たわっていた時に、六牙の白像が天上から降りてきて、摩耶夫人が横たわっているまわりを3度右回りにまわり、右脇腹から胎内に入ったというものでした。

出胎

摩耶夫人の右脇腹から誕生する時の場面です。

お釈迦様が摩耶夫人の右脇腹から4月8日に誕生した事で、これを降誕(ごうたん)と言い、日本では誕生仏に甘茶を注いで誕生を祝います。

4月8日に、摩耶夫人がお産のため実家に帰る途中で、ルンビーニの園に立ち寄られます。

そこで、摩耶夫人がアショーカの花を採ろうとした時に、お釈迦様が摩耶夫人の右脇腹からお生まれになりました。

そして、生まれてすぐに東西南北に七歩ずつ歩かれ、右手で天を指差して、左手で地を指差して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたと伝えられています。

しかし、お釈迦様の母摩耶夫人は、出産のわずか7日後に亡くなり、摩耶夫人の妹であるマハー・ブラジャパティー(摩訶波闍波提・まかはじゃはだい)に養育されて、何不自由なく豊かな生活環境の中で王子として生活されていたそうです。

お釈迦様は、この頃の事を次のように語られています。

「出家する前は、幸福な生活の中にあった。家には池があり、美しい蓮の花が浮かんでいた。部屋には香が漂っていて、着るものはすべて最上の布であった。また、三つの宮殿があって、冬の宮殿・夏の宮殿・春の宮殿があった。」

出家

お釈迦様が29歳の時に、愛馬のパンタカに乗って王宮を飛び出す時の場面です。

お釈迦様は、王子としてお生まれになり、美しいヤショーダラ姫と結婚して、男の子ラーフラが生まれました。

ある日、お釈迦様は家臣を連れ東の門より城外へと出掛けました。

お釈迦様の行く手に年老いた老人がいました。

家臣にあれは何者だと尋ね、家臣は「老人で、人は誰でも年老いて衰えるもの」だと聞かされました。

次の日、お釈迦様は南の門より城外へと出ると病人を見て、また、次の日には西の門より城外へと出ると死人を運ぶ行列に出会って、暗い気持ちになって城内に戻りました。

4日目に、北の門より城外へと出たお釈迦様は、出家して修行に励んでいる一人の沙門(しゃもん)の姿に出会いました。

この沙門の姿に、すごく感動したお釈迦様は出家の決意を固められたと言われています。

お釈迦様は、29歳の時にヤショーダラと息子のラーフラを置いて出家の道に入られました。

お釈迦様は、6年もの間苦行生活をされ、身体は骨と皮だけになり、瞳は落ちくぼんだ凄まじい姿となっていました。

この時の姿を仏像にしたのが、釈迦苦行像になります。

降魔

お釈迦様が、修行中に悪魔たちが悟りを妨げようと、あらゆる誘惑をしますが、お釈迦様はそれを斥(しりぞ)けた時の場面です。。

お釈迦様は6年間の苦行をあっさりとやめ、尼蓮禅河(にれんぜんが)の菩提樹(ぼだいじゅ)の下で瞑想に入ります。

お釈迦様が、悟りを開いてしまうと人々は、善に導かれてしまい悪が滅びてしまう。

そう考えた悪魔たちは、お釈迦様の妨げようと甘い言葉で誘惑したり、色香による誘惑をしたり、武器の恐怖で威嚇したりしました。

しかし、お釈迦様は定印(じょういん)を解いて右手の人差し指を地に着けました。

(定印とは、坐禅の時の手の組み方です。)

そうすると、地の神様が加勢してもらい、悪魔たちが退散したと言われています。

成道

お釈迦様が菩提樹の下に坐禅され、悪魔が退散して、明けの明星が輝く頃に、真理に目覚め悟りを開かれた時の場面です。

(成道した。つまり道を達成したという事。)

それは、12月8日の事でお釈迦様は35歳の時で、日本では毎年、成道を祝う成道会が全国各地の寺院で営まれています。

初転法輪

教えを説くことを言い、最初に鹿野苑(ろくやおん)という所で苦行に共にしていた5人の行者に最初の説法をした時の場面です。

悟りを開いたお釈迦様は、悟りの内容を人々に説法をしようかどうすべきか悩んでおられました。

それは、悟りの内容が誰かに聞かせても理解してもらえず、誤解を生んでしまうかもしれないと思い、お釈迦様は誰にも語らず胸の内に納めておこうと考えていました。

そんなとき、梵天(ぼんてん)と呼ばれる偉大な神様が、お釈迦様の心中をさとられ、その素晴らしい教えを説いてまわるよう根気強く勧めたと言われています。

その後、お釈迦様がお亡くなりになるまでの45年間、インドの各地を回り旅を続けられました。

入滅または涅槃

80歳になられたお釈迦様は、クシナガラという町で沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で頭を北に向けて、右脇腹を横にして最後の時を迎えた場面です。

涅槃(ねはん)とも言われています。

この時の様子を表現したのが、涅槃像あるいは涅槃図で2月15日のことと伝えられたいます。

日本では毎年2月15日には、全国各地の寺院で涅槃図を掲げた「涅槃会」が行われて、お釈迦様の命日を供養しています。

お釈迦様は自身の死を予感されていて、故郷のコーサラ国を目指して旅を続けましたが、その一つ前のクシナガラの町の沙羅双樹の下で、静かに最期の息を引き取られました。

最期の瞬間にあたりお釈迦様は、多くの弟子達に「これからは、私の説いた教えを灯として修行に励みなさい」と説かれました。